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ビートルズの言葉と背景

Beatles 1 remix LPレコード輸入盤

Beatles' Words


ビートルズの有名な言葉を挙げて、その当時の背景について考えてみました。



The only name Yoko knew before was Ringo, because it means "apple" in Japanese. (by John Lennon)

ヨーコが知っていたメンバーの名前はリンゴだけだった。リンゴは日本語で「りんご(林檎)」という意味だからね。
リンゴ・スターの本名はRichard Starkeyなんですよね。だからRingoという名前は本名ではありません。それではどこから来たかというと、指輪のRingから来ているということです。スターはStarkeyからきています。
ちなみに偶然ですが、レコード盤の中央のレーベルのところの林檎はメンバーのリンゴ・スターとは全く関係ないですね。でも、アップルレーベルとビートルズのリンゴというのは偶然にしては出来過ぎだと思います。
リンゴ・スターは日本のCMに出ていましたね。すりおろしりんごのCMで「リンゴすった」とか言っていました。YouTubeにあります。([CM] Ringo Starr リンゴ・スター タカラ すりおろしりんご (1996))。リンゴは本当にいい人そうですね。
I'd spent five hours that morning trying to write a song that was meaningful and good. I was cheesed off and went for a lie-down, having given up. Then I thought of myself as a Nowhere Man - sitting in this Nowhere land. (by John Lennon)

その日の朝、意味のあるいい曲を書こうと5時間頑張ったところだった。いらだってきたのであきらめて横になろうとした。その時、自分の事をノーウェア・ランドに座っているノーウェア・マンと考えたんだ。
これは、ジョンがNowhere Manを作った時の本人の話です。Nowhere Manはマネージャーのブライアンエプスタインのことを歌ったものだという説と、ポールのことを歌ったものという説もあります。でも、この発言からいけば、ジョン自身のことを歌ったものになりそうです。
The only reason that "Strawberry Fields Forever" and "Penny Lane" didn't go on to the new album was a feeling that if we issued a single, it shouldn't go onto an album. That was a crazy idea, and I'm afraid I was partly responsible. It's nonsense these days, but in those days it was an aspect that we'd try to give the public value for money. (by George Martin)

"Strawberry Fields Forever"と"Penny Lane"が新しいアルバムに収録されなかった唯一の理由は、シングルとして発表された曲はアルバムに収録されるべきではないという考えがあったからだ。それは馬鹿げた考えだし、自分にも責任の一端はある。昨今ではナンセンスだけれども、当時は大衆にお金に見合った価値を与えようとする局面もあった。
ファンにレコードを重複した曲で買わせないというビートルズ側のファンに対する嬉しい配慮なわけです。それはそれでいいのですが、やはり、LPレコードにシングルカットされるような曲が入っていてほしいと思うこともあります。私の好きな"Strawberry Fields Forever"は英国編集のどのオリジナルアルバムにも入っていません。アメリカが出した寄せ集めのLPレコード"Magical Mystery Tour"に入っています。そのLPレコードが後にイギリス盤公式オリジナル・アルバムと同等の扱いを受けるようになり、今では9作目に位置づけされています。このように寄せ集め的なアルバムなので、ほかのオリジナルアルバムとは本来同列に扱えないところがありますが、私はアルバム"Magical Mystery Tour"は"Abbey Road", "Rubber Soul", "The Beatles"に次いで、よく聴いています。でも、ビートルズの「シングル曲はアルバムに入れない」という、そういう方針の下に本国イギリスではなくアメリカの編集によるアルバム"Magical Mystery Tour"(後に英国でも発売)ができたわけですから、何とも皮肉なものですね。なお、曲数を英国盤より少なくして、削った分を別のレコードで出すといったアメリカの売り方にビートルズは不満を持っていたと言われています。私はアメリカ編集のLPレコード「The Early Beatles」を持っていますが、英国オリジナルアルバムの「Please Please Me」と同じではないのは何故だろうと思っていました。実は、そういうことだったのですね。

ちなみに、もし、"Strawberry Fields Forever"と"Penny Lane"が新しいアルバムに収録されたとすれば、"Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band"でしょう。どちらがA面の何曲目、B面の何曲目?という感じでどこに入っただろうかとか、レコード盤は収録される曲のトータルの長さに制限があるので、今のCDとかDVDとかBlu-rayとは違ってアナログ盤には入りきれただろうかとか、レコードはA面の最後の曲とB面の1曲目に何を置くかもとても重要なので、アルバム"Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band"の"Being For The Benefit Of Mr. Kite"と"Within You Without You"はどうなっただろうかとか妄想するのは、ビートルズやオーディオ関係が好きな人にとっては楽しいものです。CDにはB面の概念がないので、当時と現代ではミュージシャンのアルバムの曲順の決め方は若干異なるのでしょうね。B'zはEPIC DAYでアナログ盤も出しましたね。やはりB面の1曲目はアルバムタイトル曲でした。
Ringo: I'm leaving the group because I feel unloved and out of it. I'm not playing well and you three are really close.
John: I thought it was you three."

リンゴ:自分が愛されてなくてのけ者にされていると感じるから、バンドを脱退するよ。僕はあまりいい演奏をしていないし、君たち3人はとても仲がいい。
ジョン:それは君たち3人だと思っていたよ。
1968年のホワイトアルバムの収録時期。別の時にリンゴが同じ事をポールに言ったら、「君たち3人がそうだと思っていたよ!」と言っています。みんな疑心暗鬼の時代だったようです。それにしてもあの当時の写真をみると急にみんな劣化(失礼!)したように見えます。外国人は劣化が早いとかワイドなショーでウエンツ瑛士が冗談で言っていましたが、そんなことはないにしても、ビートルズはこの10年にも満たない年月の中で、濃密な人生経験をした結果ではないでしょうか。
I don't mind, I'll play whatever you want me to play or I won't play at all if you don't want me to play. Whatever it is that will please you, I'll do it." (by George Harrison)

構わないよ。君が望むように演奏するし、演奏して欲しくないというならしないよ。君が喜ぶことなら何でもするさ。
ホワイトアルバムの頃はリンゴが一時脱退しましたが、映画『レット・イット・ビー』の頃にはジョージがこのゲット・バック・セッション時に一時脱退しました。ゲット・バック・セッションは一度没になりましたが、「Rooftop Concert」などで形を整えたのちに「レット・イット・ビー」の映画とアルバムとして公開されました。アルバムの発表順では「アビー・ロード」→「レット・イット・ビー」ですが、制作時の時系列では「レット・イット・ビー」(最初はゲット・バックセッションだった)→「アビー・ロード」となります。ホワイトアルバムの頃にリンゴが一時脱退して、そのあとのゲット・バックセッションの頃にジョージが一時脱退したことになるので、いろいろとゴタゴタした、そういう時期だったみたいです。まあ、結局は戻ってきていることから、大局的にみるとよくある喧嘩のようなものだったのでしょうけど・・・。でも、ジョンとポールという偉大なる天才達と一緒にやっていくその苦労は凡人の想像を絶するものであったろうことぐらいは凡人の私でも容易に想像できます。特に、リボルバーあたりから主導権を握り始めていた鼻息荒いポールとはうまくやるのは大変だったのでしょう。ビートルズにジョージを連れて来たのもポールですし、学年ではポールが1つ上になりますし。なので、ジョージとポールのこういったギスギスしたやりとりはフィルムに収められており、当時のメンバー間の軋轢が読み取れます。ジョージは"I Me Mine"やソロ作品の"Wah-Wah"などでもポールのことと思われる歌詞を歌っています。ビートルズも人間だったということですね。

文法的なことを少々。Whatever it is that will please you, I'll do it.において、このwhateverは関係代名詞whatの強調の用法で、「何であろうとも」といった譲歩節で使われています。この文は本来Whatever it is, I'll do it. (それが何であろうと、僕はやるよ)に強調構文it〜thatの形でthat will please youが繋がったものと考えることができます(関係代名詞thatでwill please youが繋がったものと考えることもできますが)。いずれにしてもWhatever it is that will please you, I'll do it. (君を喜ばせるものが何であろうと、僕はやるよ)と考えればよいと考えられます。
There was always a possibility that we could have carried on. We weren't sitting in the studio, saying "OK, this is it. Last record, last track, last take." (by Ringo Starr)

僕らがバンドを続ける可能性は常にあった。スタジオで座って「OK, これで終わりだ。最後のレコード、最後のトラック、最後のテイク」と言っていたわけじゃない。
1980年12月8日のジョンの死亡によって4人での再結成は絶望的になり、さらに2001年11月29日のジョージの死去により、今では2人にか生存していません。再結成しなくても4人全員が生きてさえいてくれたら常に可能性は感じられるので、それだけで夢と希望になるのですけど。まあ、私の個人的な見解です。
I'd like to say thank you on behalf of the group and myself, and I hope we passed the audition. (by John Lennon)

私自身とグループを代表して、皆さんに御礼を言いたいと思います。そしてオーディションに合格したことを祈ります。
これは最後に発表されたオリジナルアルバム「Let It Be」の最後の曲「Get Back」のアルバムバージョンの最後に入っているジョンの言葉です。1969年1月30日に行われた「Rooftop Concert」の最後にジョンが言ったジョークです。これを言う直前にはリンゴの最初の妻だったモーリン・コックスのYeahという声も入っています。また、ジョンがこれを言い終わった時にこのジョークに対する聴衆(スタッフ)の笑い声も入っています。アップルビルの屋上で演奏されたものです。シングルで発売された「Get Back」には入っていません。シングルではポールが歌いながらフェードアウトしていきます。
ちなみにアルバム「アビーロード」の録音は1969年2月22日から始まりました。ジョンの「I Want You」が最初だったとか。





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